忘れられた「国家売春」の過去(47NEWS)
74年前の夏、敗戦で多くの日本人が茫然自失しているなか、東久邇内閣が手をつけたのは、占領軍将兵に女を提供する慰安所をつくることだった。
敗戦からわずか3日後の8月18日、内務省警保局長が現在の知事にあたる全国の府県長官宛てに「外国軍駐屯地における慰安施設について」を打電。速やかに性的慰安施設、飲食施設、娯楽場を設けるよう指令した。
国務大臣の近衛文麿は警視総監を呼んで、「国体護持」のため慰安所設置の陣頭指揮をとるよう要請している。国体とは天皇を中心とした国家体制のこと。それと売春施設はどう関わるのか。事態の推移がそれを明らかにする。
これを受けて警視庁は東京料理飲食業組合の組合長らを呼び出し、資金は政府が援助するから、至急、各種慰安施設をつくるよう命じた。
都下の接客業7団体を擁する同組合は、23日には特殊慰安施設協会(のち「RAA協会」と改称=Rはレクリエーション・Aはアミューズメント・最後のAはアソシエーション)を立ち上げ、28日に皇居前広場で宣誓式を行っている。ついこないだ、天皇の終戦詔勅を聞いて集まった人びとが地べたに伏して嗚咽(おえつ)した場所である。
[紹介元] 47NEWS – 国内 – Yahoo!ニュース 忘れられた「国家売春」の過去(47NEWS)
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