29年後に頬破ったガラス片 語れない思いを語る ヒロシマの語り部(下)(47NEWS)

29年後に頬破ったガラス片 語れない思いを語る ヒロシマの語り部(下)(47NEWS)


29年後に頬破ったガラス片 語れない思いを語る ヒロシマの語り部(下)(47NEWS)

 被爆はあまりにも悲惨な体験だったため、家族にさえ何も語らぬまま亡くなった人も多い。今まで沈黙してきたが、被爆者の高齢化が進むなか、やはり話さなければと「語り部」になる決心をした人がいる。古家(ふるや)美智子さん、77歳。

 3歳のとき爆心から1・2キロの中区上幟町(かみのぼりちょう)の屋内で被爆した。

 爆心に向いた側の顔から身体に無数のガラス破片を受け、落ちてきた天井や梁(はり)の下敷きになった。

 父親に救いだされたが、顔に傷が残った。29年後、知人がふざけて頬を軽くつねったら、入っていたガラス片が皮膚をつき破って出てきた。このガラス片(18ミリ×1ミリ×7ミリ)は広島原爆資料館に保存されている。

 東京に住んでいた頃の彼女と一緒に「1971年夏 東京―広島、愛と怒りのゼミナール」の反戦列車に乗ったことがある。列車内で若者たちがフォークソングを歌い議論して、翌日の平和記念式典に合わせ平和公園でダイ・インをした。

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